ⅩⅣ:節制

一枚引きをInstagramでアップしていて、私自身にとっていいことのひとつは、私の色眼鏡の傾向が掴めることにあります。パッとみて。

自分自身のことにとどまらず、検証できる範囲にしてひいていますが(アプリで)、検証するのが私ならばどこまでも偏り(色眼鏡)はでるだろうなー、という。

で。最近、「節制」がよくでます。
自然体で順応性高いカードなのですが、それって要はなんもおこらないんですよね。いい意味でね。

もちろん、錬金術!とか、変容!とか、なんか凄そう(人間の拡大万歳欲求をバリバリ刺激する)なキーワードもあるんですけど、基本は空気を読むカードだし、無理がないバランスを実現していて、健やかだと思います。

それって結局はいかにことなかれか、という。
難がないわけです。難がないってなんもないの。
ちょっといい日みたいな。無難でつまらない、とまではいいませんが。

自分ごとでタロットカードを引いていない以上は
一枚引きのカードに対応するようなお客様だったり、
事案だったり、TVやYahoo!ニュース(笑)だったり、
いつも読んでいるライターさんの記事だったり、
とにかく目に耳に入ったことにを思い廻らせて一枚引きのひとことを書いています。

が、節制(それも正位置)が増えてくると、私がみている世界があまり近く、狭くなっている感じがしてしまいます。

私が毎日ちょっといい世界に生きている、とかではなくて、無難さにちょっと埋没しちゃっているような。狭くなっているような。
キャッチ力下がっているような。

現に今日も節制のカードだったのですが、一日親と過ごしていまして、親が節制な感じでした。たのしそうだった。

…オリンピックネタなカードなら今日の結果は全然節制じゃないし(>_<)、仮想通貨ネタならダークウェブ(笑)とか言葉が健やかじゃないし、私が親にそうとう意識集中してたんだな~と。

もちろんいい一日でした。親の健やかさと難がないことがありがたいお年頃です。
ただ、自分の見渡す世界がちょっと狭いことが気になるだけで。

節制は無理のないスピリチュアル。
でもみんな、案外そんなスピリチュアルは期待してないよなあ。