何をやっても一緒ですが何か?

最近、スピリチュアル~と言われるジャンルの本を4冊同時並行で読んでおりました。
うち3冊はアクセス・コンシャスネス、のですが。

読むほどに思うのは
結局何をやってもいいな、と思うのです。

スピリチュアル的なものを学び始めた時
日本にトランスパーソナルの考え方を導入するのに非常に尽力された方の勉強会に
毎週参加していた時期がありました。
その先生もおっしゃっていましたが、道が違えどもたどり着くところは一緒というやつです。

ただ、やっぱり私たち人間の個体それぞれに特徴とか偏りがあるので、何を選ぶかもやっぱり違うのも仕方ない気がする。
何をやっても一緒だとしても、そのプロセスを追うにあたっては自分がすきなものでやればいいし、時々に変わるでしょうという。

私がアクセスにのめり込んだ理由の一つはとてもノンデュアルな考え方にちかいな!と思ったからだけれど
じゃあ選択とか問いかけとか自分をジャッジしないことの大切さ、というツールがものめずらしいかというと、言い方はちがうけど、結構同じことをいっているわけです。スピリチュアルの先人たちは。
コーチングとかアドラー心理学とかを学んだ方たちからしたら、その「選択である」とか「客観視する」ところなんて、あたりまえだ!それがどうした!といいたくなるかもしれない。

それでも、ツールだったり実感のしやすさは秀逸だと私はおもっているけれどもね。
最近は特に簡単な「手技」がある点はいいなと思います。言葉遊びってさー、はてしないんだもん。

だからこそ色々学んできた方ほど、アクセスのクラスを受けると今まで学んできたものが腑に落ちると思います。
知識ではなくて、現実につかえるものになるというかね。
今までは言葉遊びが邪魔してきた部分は手技がありますからね!

あー、ばーずしたい。