シンプルブームはどこからきたのかよくわからないけど
シンプル=素晴らしいという謎の考えを自分に取り入れている人は多い。
シンプル=無駄がない、余計なものがない、簡素、単純、かんたんといったイメージでしょうか。
なんでそれがすごい・素敵・素晴らしいになっているのか。
口が回り、頭が回り、インターネット検索ができればいくらでも屁理屈は唱えられますけど、そもそもそのシンプル万歳って、自分の?っていう。
シンプルに生きます、といった人の複雑怪奇な言動とか
シンプルさを追求します、といって単に整理整頓してゴミ捨てしただけとか
シンプル=手抜き(一概に悪くはないけど、シンプルってだいたい丁寧とセットだよね?)とか
まあいいんですけど。
私は自己成長とかスピリチュアル界隈の手法においてはシンプル大好きさん(できるだけモノをつかわずにすむ。時間も体力もいらない。できたらお金もかけたくないけど。。。うそです、つかってます)ですが、シンプル(楽そう、モノいらなそう、時間かからなそう)なルックスで面白そうな手法だとすぐに喰いつくミーハーなので、結果ぜんぜんシンプルじゃない。。。
今書いていて残念な気持ちになってきた。
※シンプル系最強の手法はやはりハーディング氏の指さし実験じゃないかと思いますし、あの「はっ」とした感じで、全てが面白いものの見方で、自分の考えなんてないことを知っている状態(このあたりはアクセス)でいたら、そりゃあ全てから解放される。
おまけに、日常生活のシンプルはあんまり気にしてません。シンプルはたいへん(このあたりは私のシンプル=その分丁寧というものの見方の反映です)だ、かえって。
なので、シンプルじゃないシンプル信者をみていると、もやーっとします。
自身の体験および他の人の様子をみて、たいていシンプルの後ろにあるのは
シンプルの果てに求めていた何かすんごいものではなく、まずは
いい意味ではごちゃごちゃからの解放とスッキリ感、そしてごちゃごちゃからの反応としてのなにもない景色や地味さ、地道さ、つまらなさ、忍耐、単純さ、変化のなさ
だと思います。まったく情動にはたらきかけてこない、興奮もない世界。
だいたいここでくじける。意図的な拡大と興奮を仕掛け、無意識的に元のがちゃがちゃに戻りたくなるのです。
ただ、さらにその後ろに、他人からみたら「素晴らしいもの」とか「拡大」とかがあって、でも当人からすると素晴らしいとか拡大とかそういう概念が消えているわけです。既にシンプルによる世界に現れたものがあたりまえで楽ちんの通常モードなので。この状態があたりまえの世界に移っている。
なので、シンプルライフ最大のいいところを享受するにはがちゃがちゃに戻りたい期を乗り越える必要があります。
傍目にはそのプロセスがわからないから、余計にすてきなんだよね~。自分で創るという時の自分が、がちゃがちゃ時代の自分と目線が違うしね~。
というわけでシンプル追求のまえに、そのシンプル、ほんとうにいる?
本当にすき?そのシンプル希望、誰のもの?とご自身にといかけを。
そのほうがよっぽど、シンプルかも。