ミラクルを日常に観る

先日、定期を朝の通勤ラッシュ時に紛失して、それが数時間後(夕方)には手元に返ってきた、ということがありまして。

で、それをSNSにかいたわけです。

書いたのはコレ↓
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今日はミラクルが起こったよ!

とかかくといいのかもしれんが、朝、知らない間に定期を落として、すぐに拾ってもらえて、定期がちゃんと保管されていることを告げる電話で紛失を知り、夕方には手元に帰ってきた。
一瞬も悩みや不安、悲しみはなかった。
というより、気づかない間に解決した。

職場の同僚たちに言わせると、定期紛失のわりにかなりのスムーズさ、らしい。

世界はやさしいな。
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私がかくSNSのつぶやきはふだんあまり友人にウケないのに、「いいね!」がけっこうついたことにびっくりしました。

私は定期券を落とす、ということが人生で2度目なのですが
(1度目もすぐに手元に返ってきた。中学生くらい)
職場の同僚の皆さんの話によると

・まずみつからない
・みつかっても、終点駅の落し物センターお預かりだったりして、取りに行くのが大変すぎる
・払い戻されて、抜け殻
・チャージしてあるお金をつかいこまれてるのもザラ

等々、ロクな話がない。
確かに、私の話はミラクルらしいのである。
ちなみに、私の定期は私が乗り換えで使う駅の隣の駅に保管されていた。
もちろん、その日の朝、その隣駅で降りたりしていないので、まあ不思議である。
定期だけ途中下車したらしい。

で、なんだよ、やっぱり世界って優しいんじゃないか、みたいなきもちで、あまり考えず書いたわけです。
そしたらみんな好きらしい、と。

みんなミラクル(という言葉が)すきだなあ!と最初は思ったのけど、やっぱり、世界のやさしいかんじがいいんだなと思いました。

あとは、一瞬も悩みや不安、悲しみはなかった、あたりもなんかこうエゴさんにやられてない感じがよかったのかもしれない。
事実、それらが介入する隙間がなかったんだけど…。

本当は日常にはこうしたミラクルがたくさん溢れている、のよね。

もっと言えば、日常=ミラクルなのですよ、とかいってみたりして。

「本当は何もないのが普通で、在るほうが異常だ。だが、毎瞬その普通でないことが起こり続けている。だから私はそれが驚くべきことで、奇跡だとも言うのだ(ダグラス・ハーディング)」

※この言葉の素晴らしい解説は是非髙木悠鼓さんのブログ、シンプル道の日々をご覧ください。