まっすぐで不器用な彼女は正しいのか。

「自分が自分の人生(やりたいことをやるとか、使命と思われるものを果たすとか、そんなやつ)を求めたらいけないのか」

「私が私のままで自然体でいられる環境を求めることは勝手なのか」

どちらも当然というか、自分の人生を求めたらいいと思うし
自然体のままでいられる環境を求めたらいいと思います。

すぴりちゅある界隈の人の欲深さ(自分含)はすんごいものがあります。
自分が求めたものは全部満たさないとだめ!みたくなっている方もいるくらいに、求めるものに忠実にすぎやしないか心配な人もたまにいますが。

そういうレベル感の人はさておき、通常において、誰もが遭遇する問題があります。
自分の人生を求め、自分が変化した結果、同じ人間関係や同じ場所にいられなくなるということです。
自分の自然体に気が付いた場合、それとマッチしない場所にもいられません。

人間関係の一方である相手や周りに私の変化にあわせて変わってくれ!
私の自然体にマッチした場所になってくれ!
といって、変わってくれるなら楽なもので、大概そうはいきません。

必死に自分のやりたいことや自然体の「正しさ」を証明し、相手に変化を要求しますが、失敗します。
相手には関係ないから。

本人にとってやりたいことや自然体は好きなことであり正しいことなんでしょうけど、他人には本当に関係ありません。

となると、自分が柔軟になるか、離れるなりするほかないわけです。
気楽な方法では一線ひいて相手や環境をみて、まあそんなもんだよね、と置いておく方法もあります。

しんどい考え方として、その関係性を維持する、環境に居続けるためにはやりたいことや自然体を諦めればいいんじゃないのか、もありますが、だいたい本音に気が付いた人はそうもいかないものです。

「ここまでやってダメなら、私が辞めるしかないですよね」

会社での人間関係で辛い思いをされている方が相談にいらっしゃいました。
その関係性のために、状況としてかなり追い込まれており、
ご自身なりに最後の行動をとる前の一言でした。

私が悪いのかもしれない。でも私は悪くない。私は正しいはず。
そのせめぎ合いがずっと続いていたようです。

今回の行動がダメならば、辞める覚悟なんだろうな、と思います。
長くお勤めした会社とのこと。
ダメな人たちだ、といいながらも、やっぱり会社への「思い」を感じます。

この方は繊細でまっすぐな方です。
まっすぐで、正しさを大切にしていました。
叶うことなら、周りに正しさを認めてほしいと願っていました。

現実問題として、その会社の人間関係というか、その会社の人たちは彼女のまっすぐさを受け入れられないのだと思います。
そして、この先、会社の人たちが彼女にとっていいように変わるとはあまり思えませんでした。

彼女のまっすぐさはまっすぐかもしれないけど、社会一般の「正しさ(そんなものあるのか)」ではないし。
彼女が自分のまっすぐさ(彼女からしたら正しさ)を良しとする一方で、会社の人々はまた別の在り方を良しとしているだけです。

最後の努力がどういう結果になるのかは、まだわかりません。

自分で自分を不器用だ、とおっしゃっていました。
柔軟に対応すればいいだけなのに、それができない、と悲しそうでした。

結果がどうであれ、辛い思いの中で自分の自然な姿や不器用さに気が付き、違う道を見出そうとしている彼女に少しでもいいことがあってほしいな、とは思います。

違う道、とは
彼女が自然体(不器用でまっすぐ)でいられる、別の環境に行くことなのか
彼女が少し柔軟になって、今の場所に居続ける事なのか
はたまた第三の道なのか

まだわかりません。