ムカつくあいつをどーにかする方法。

正直、あいつを変えるのは至難の技ですが。

まずはどーでもよくすることで
結果関係性はどーにかなる可能性は高いです。

以下イメージワーク。

1:
ムカつくあいつをイメージ

2:
ムカつくあいつに

こんなに感情を動かしてくれるなんて凄い!大好き!ありがとう\(^o^)/

のエナジーをイメージでいいので投げる。ぶつける!

どんな感じがしますか?

この仕組みは

結局はなんでもエナジー
すきもきらいも同じ両極だから

というもの。
おためしください。
なんだかどーでもいいきがしてきます。

これよりいいことってどんなこと?\(^o^)/

言い訳のつくり方

私たちはわかっている、と思うことで
新しい可能性の扉を閉める。
そんなの知ってるよ、とか。

既に知ってるそのことが
違う現実も違う未来も違う可能性も
なんも生み出さなくても

ちょっとでも類似のことを知っているだけで、それはこの変わらない現実を変えるに値しない、と判断(類推)して、扉をしめる。

やってみたら、案外全然違うとか、やっぱり似てたけど、新しいものが生まれた、とか、動きはあるかもしれない。
もちろん、なんもないかも。今は(すぐに受けとれない仕組みも大概自分のなかにあるものだし)。

けど、思考が過去や周囲の情報から出した判断に一番の価値をおく。

もう失敗したくない、傷つきたくない、ムダはいやだ。

それらを逃れるために。もっともらしいやらない言い訳。

欲しい結果の最短ルートはいつも思考にはつくりだせない予想外にある。

最短ルートのヒントはやってみたい、なんか気になる、ドキドキ、ワクワク、これしかない。

ニセのドキワク(=反応)もあるんだけど、またいつか。

You Are The Universe

昨日、the brand new heaviesのライブに行ってきました。
毎年今くらいに来日してくれます。
正直、外タレには全く興味が持てない方だったのですが、彼らは別。
とにかくかっこいい!の一言です。

で。
ここ数日、環境に大変化があって、かなりへこんでおりました。
初めてのことでもなかったので、そこそこ大丈夫と思っていたのですが、けっこう大丈夫じゃないという(笑)。

瞑想とかアクセスのマントラとか家族には助けられております。
まあ、これが人間だもの。

さて。そんな精神状態(笑)のなかで、ライブ。
彼らの大ヒット曲が「You Are The Universe」です。
あなたは宇宙!なんて、なんてボイジャー的なんだ!と改めて興奮。
アンコールで上記曲がはじまったときにはキ〇マイコンサート並に盛り上がってしまいました。

今までどんな歌詞かを調べてみようと思ったことはあんまりなかったのだけど
今回ボイジャーすぎ!と思ったので、改めてしらべてみたら。ば!

歌詞もめちゃくちゃボイジャー過ぎ。というか、自身が宇宙である、というスピリチュアリティの大本のような歌詞になっております。和訳もネットにありましたので、是非ご検索ください。

人生の主役は自分自身であり、すべては実現可能である

という表面的にはうっとおしいけど、深く観じるとそのとおりでござるとしかいいようがない。
秘密とされているものは、実は秘密でもなんでもなかったりする。すべて魔法です。みたいなね。

ちなみに私が一番すきなのは「Sunlight」です。去年はやらなかったのですが、今年はやってくれたのでまさかの涙涙でした。

わたしを遠くへ連れてって

くれるものがあるとしたら

それは地道さ。

太りにくい身体をつくるには
地道な毎晩のストレッチと定期的なメンテナンス。

職場の人間関係をマシにする一番簡単な方法は
地道な毎日の挨拶。

ハイアーセルフや自身の深いところとつながり、よりよい人生を歩みたいなら、地道な瞑想やワーク。

もちろん一発大逆転はあると思います。
でも、地道のないところには
ないかも。

他人とくらべると間違いなくロクなことがない。
ので、前の自分と比べてみてください。
ふと気づけば地道は面白い世界に連れてきてくれるかも。

あと。

自分の思い通りではない=よいもの、豊かなことではない

をやると、地道力が半減します。要注意。
特にスピリチュアルな学びにおいて、想定内なんてつまんないし、じゃなくて、もっといいものがくることあるんだよね。

スッキリ&ユーモア

人の話を聞く仕事の経験が長い割に、あんまりスタンスとか提供したいことを考えたことがありませんでした。

この前のイベントやアクセス・コンシャスネスの学び、クライアントさんからのお言葉を通じて、自分の対人援助とは

スッキリ&ユーモア

の提供だ、という確信に至りました。
この数日で。
正直、ユーモアというより、興味深いを含む面白さ全般のほうがピッタリくるのだけど、響きがいいので。

絶望の反対はユーモア、とかじゃないんですけど、ユーモアの破壊力というか、開放する力ってやっぱり凄い。深刻より速い。

スッキリ&ユーモアでいきましょう。

trust

最近、自分がよく選ぶボイジャータロットが
trust というカード。

先日のセッションで、クライアントさんもtrustを選んでいた。

クライアントさんは元々直感を大切に生きる方だったので、ご自身が受け取っていたものをカードという見える形で確認し、課題になりうるモノを念のためチェックする流れに。

素敵な将来の野望(笑)をお持ちだったのですが、それはもう夢とかふんわりとした遠いものではなく、達成するであろう目標で、具体的にどう動くべきかというかんじで。

誰もが夢とかやりたいことがあり、日々直感や心の小さな声をきいている。

それを現実化するのは、直感と心の声を信頼すること、自分と起こることを信頼すること、しかないと改めて思いました。
普段から直感を信頼すれば、なかなかハードル高そうな野望が降りてきたときだって、信頼するに決まってる。というか、習慣化してる?

直感や心の声が、エゴにとっては気持ちよくて、いいことばかりのハッピーハッピーをもたらす、とは限らない。冷静にみたら、ありえないこともある。激しい抵抗感だって、よくある。

でもミラクルは想定外からくるのだから、やっぱり最終的には信頼するしかないんだよなあ、と自分に言い聞かせる今日この頃。

とはいえ、無理なときは流してもいいと思いますけどね。
踏ん張りどころは間違えないように。

カフェでまったり。

私が新卒で会社に入ったとき
社内報の新卒紹介ページにて

趣味:カフェでまったり

らしきことを書き、同期にドン引きされた。
見た目と合わなかったらしい。

今でもよくひとりで喫茶店にいき
ぼけぼけしたり、書き物したり、読書したり。
ずーっと携帯いじったり。

とにかく喫茶店は私の生命線。

チェーン系でもオーナーさんのお店でも
あんまりコダワリはないのだけど
※ド○ールばっかりいくし

ひとりでゆっくり過ごせる場

をちゃんと意図して創られたお店に出会うと
やっぱり嬉しい。

コンセプトカフェ、はとかく押し付けがましい店も多いのだけど、押し付けずに、ただいること(&適度に喋ってもらえたりもする)がokのお店はカフェまったり病の人間にとって本当に助かります。

要は、そんなお店に行ってきたのですけどね。

誰もが自分の持ち場で仕事をしていくっていいなあ。
と、改めて思った次第。

なんでも相談してね、は危険。

人から相談を受ける仕事をしている人は
対応領域を広げるべく
様々な勉強をしている人が多い。

それは大切なことなんだけど
なんていうか、それゆえに
なんでも対応、なんでも介入したがる
人も多い。
一歩間違うと、やっつけ対応のくせに
なんでも出来ます!みたいなひともいる。

誠実な対応ができるひとほど
自分ができること、できないことを
よくわかっているし、できない時には
ちゃんと正直にいいます。

そしてわかる範囲で話してくれたり、適切なリファー先を紹介してくれることも多いです。

助けてもらう勇気

勇気にもいろいろありますが
困った時に誰かに助けを求める勇気というのは
けっこう大切な気がします。

本当に命の危険にさらされるようなときは
誰でも助けをもとめる(もしくはサレンダーな感じになる?)気もしますが
生命の危機とは言えないが、いやーほんとにこまったね、という時に
助けてといえるかというと、けっこう自分で頑張る人は多い。

一切丸投げ!という人もいて、それがいいのか悪いのかみたいな話をし出すと
ずれるので書きませんが、少なくとも助けや協力を周囲に求めることが
苦痛な人にとっては、助けてもらう勇気は
自分自身の新しい部分を開発する意味でも、欲しいものに手を伸ばす意味でも
挑戦しがいのあるところではないでしょうか。

自分じゃもうできないんです、って逃げたり負けたりかもしれないけど
すごくサレンダーな感じでわるくないとおもうんだよね。
自分が、という点ではなんか残念でしょうけど、本当に叶えたいことがあったとして
自分が、さえ無くなれば叶うのなら、まあいいじゃん、なんです。ほんとはね。

ずっと前に勤めていた会社で、今思えば会社からとても無謀な課題を与えられたことがありました。
有能な人やベテランならできたのかもしれないけど、私には経験も能力もなかった。若さだけ!
とはいえ、当時は業務遂行能力にかなり自信があった(笑)し、その無謀な課題を私に与えた理由はその傲慢さを買われたのだと思う(鼻っ柱を折るためではなかった、はず)。
で、自分なりに頑張った。助けも求めず。周りから文句も言われたけど、かなりがむしゃらに。

結果、惨敗でした。ぜんぜんだめだった。

周りはスタンドプレーで失敗した私を表立って責めなかったんだけど(いい人たちだ)
私はもうプライドぶち壊しにされてしまって、大変だった。
大変だったなりに、その課題はなくなったわけではなかったので、なんとかしなくちゃいけなくて
初めて上司に助けてくださいといった気がします。

その後はけっこうたのしかった。
結局その課題は多くの人に助けてもらいながら解決することができた。

で、会社なので相変わらずとんでもない要求がされていたけど
開き直って、全部上司が責任取ればいいよ!くらいになって
(というか、平社員に責任なんてとれないしね)
納得いかないことも沢山あいかわらずあったけど、
沢山いいこともあった。

結局しばらくして、辞めちゃったんですけど、この「自分じゃもうだめだ」と手放すのが
本当に大切なんだと、最近またよく思います。
お任せしても結果がでないこともあるでしょうが、そこはもう仕方がないというかね。

人事を尽くして天命を待つ

というのが本当に理解できていれば、どこからが自分が頑張るラインで
どこからが神様お任せラインなのか、はなんとなくわかるのでしょうが

いかん、もうどうしていいのかわからん、お手上げです、負けです

もいい感じのシグナルかな、とふと思いました。

はたらく、のデザイン。

昨日、キャリア界隈の勉強会に参加してきました。
キャリアという概念に関わるものへの継続的学びは、もう完全に習慣化されている趣味です。

だからかなにか、結果的に私のところにくるクライアントさんはお仕事相談がおおい。
私の趣味なんてたぶんしらないけど、そんなかんじ。シンクロ?

昨日の講師の先生は、メンタルヘルス系の産業医さんでした。
すんごい独特で、不思議な人だった。
色々お話しいただいた中でも、「キャリア」というものを扱う(それを生業とする)人々の傾向分析は業界関係者必聴といえる、耳の痛さ。個人的に大爆笑でした。

キャリアというと個人個人に言葉の定義があります。
怖いくらいあります(言葉は大概そうですが)。
私の考えでは、この定義化ができないということに気が付いている人が
キャリアと名のつく仕事をしている人ではとても本気の人だと考えていて
昨日もそんな話になりました。

でも、このキャリアというたぶん人生のなかの働くに関わる部分を取り扱っているであろうものは
ちまたでは「つくることができる」「計画することができる」「つーかしろ」となっています。
できない、とは言わないけれども、自分の思い通りにはならないのが実情なのに。

だからといって、このキャリアを他人任せにはできない。他人はなんもしてくれない。
やっぱり、ある程度は自分で考えたり、決めたりしてやっていくしかない。これはあきらめに近い。
でも思い通りになんて、ならない。
なのに、キャリアをデザインするって!と常日頃思っていたのですが。

昨日のスピーカーの先生方の中に、なるほど!という話がありました。

結局、目標を決めてみたり計画してみたりするのは、全て
枠(計画や目標)を壊すためだけにある、ということらしい。

自由に、というのは制限があって初めて成立します。
自分で決める、自分でやっていくために、とりあえずはこんな枠、で動いてみて、現実がでてくる。
その結果は枠通りしなくてもよく、そこから作り直したり、壊したり。それでいい。
そのためだけにデザインするのです。

決断はその時にしかできないから、計画当初と同じでなくなるのはもう当然という。

枠通りに行かない現実に失敗と思うことも多々あります。私もそう感じてしまう。
でも失敗は枠を壊しているだけで、新しい枠を作れというだけのはなし。
ほんとうはそれだけのこと。
そうやって、キャリアはつくられていくというだけのこと。

失敗しろ失敗しろとみんないうけど、失敗したら終わりだと反射的に思うのは
狩りに失敗したら、猛獣にコロサレル!と感じていた遠い昔の記憶。
もしくは、本当につらい思いをもうしたくないんだ、という記憶の場合もあります。

それは仕方がないことなんだけど、でもキャリアにおいては、自分の人生をつくるために
枠を壊したんです。だから、大丈夫大丈夫になるはずなんです。

で、枠にこだわるとつらいんだよね。私も散々枠にこだわって痛い目にあっているので、枠に拘る気持ちはわかるんだよねえ。結果的に今でよかったですけど、そう思えたのはここ数年です。

スピリチュアル的に言えば、エゴの計画どおりにはいかないというやつですかね。