先週のボタニック・ピースさんでのイベント、タロットを受けてくださったみなさま、本当にありがとうございました。
昨年夏にイベントに出た時は多種多様な内容を占っていたのですが、あれから一年が経過し、自分の強みとなるジャンルをお客さまに教えていただいた気がします。
。。。やっぱり仕事系なんだな。
そりゃあそうだよな、どれだけ労働やらキャリアやらに時間もお金も努力も費やしてきたのかわからんもんな。
さて。
例えばですね。
私が、結婚専門ハッピータロットカウンセラー(※例にするにもうんくさすぎてツライが、結婚相談所の相談員は一度やってみたい)になりたい!やってみたい!と10年来思っていたとします。
そして、よくわからないが、これが天職だ!(そうあってほしい!)と思っていたとします。
でも、現在は
超ニッチな労働関係専門ハッピーなんてのんきなムードはない法律の専門職 です。
結果的にはこれです。
ということは、世の中が今、私に求めているのは
超ニッチな労働関係専門ハッピーなんてのんきなムードはない法律の専門職
なわけです。
この時の「世の中」は一般的に言う、世間とか大衆とかではなく、私が生きていると思っている今ここの世界のことを指します。
数年前、シュタイナーやカバラ、数学について研究をなさっている丹羽敏雄先生の講座に行った時に、宿命と運命と天命についてお話しいただきました。
天命とは、本来なすべく用意されていたこと、この身体に来る前に決めてきたこと、高次の「自己」と言われるものが持ってくるものとおっしゃっていました。
よくいう、「私の生きる意味」とか「使命」とかそういうやつだとおもいます。
私自身、自分の今までを振り返っても、多くのところに溢れるやりたいこと話をみても、そして多くの相談をみても、この「やりたいこと」は天命につながっている「はず」なので、その天命を見出すために、やりたいことをやりたいのだ、みたいな願いを持つ人は多いのだと思います。やりたいこと=天命のはず、くらいに思ってしまうこともあります。
。。。なんなのですかね、そもそもこの前提は。これだれの?
が。がですね。その先生のお話しではですね。
天命は自身のうちから思い出すというよりも、外からやってくる、他者からの依頼・要求としてやってくる
というのです。
もし、天命を知りたいならば、内的準備を整えて、本当に聞こうと思っていれば、外の「何か」を借りてやってくるのだそうです。
つまり、他者からの要求を実現していくこと、そこに耳を傾けることが、自身の天命を知るきっかけとなる
という訳です。
私のケースにもどれば、
超ニッチな労働関係専門ハッピーなんてのんきなムードはない法律の専門職の仕事に真摯に向き合うのが、天命を知るにはてっとりばやいというわけです。結婚専門ハッピー。。。がやりたくて、それを夢想していてもなんも進まないのでした。
もし、やりたいことをやりたい理由が使命とか天命とかという話につながるのであれば、やりたいことを探すとか、本当にやるべきことを探すとか、自分の本心を掘り返すとかよりも、今、目の前で何が要求されていること、そしてそれに取り組むことで、天命がわかる、近づく、ということになります。
目の前のことは全然やりたいことではない、ということも多いし、世界を救うような超希少性の高い天命である可能性は低そうだし(現にいるでしょうが。ただ、世界を救う人は世界を救いたくて救っているイメージないよな~)、やりたいこと、ということばのエネルギーのもつ妙なテンションは消えるし、案外じみですけどね。
全然やりたいことではないが、なんでかやることになる、結果けっこうできてしまうなら、そこに真剣になってみてはいかがでしょうか。
というわけで、「本当に」やりたいことなんてべつになくていいわけです。
興味があること、よくわかんないけどひかれること、まあちょっとくらいはやってみたい・やってみてもいいかも、とかで十分なのです。やったら、なんか違ってもいいのです。経験が要求されていただけなので。
極端ないい方をすれば、やらざるをえないことをほんとうに真剣にやればいいんじゃないのか、というはなしです。
私も、熱病のようにやりたいと思って全力でやったわりに、熱がすっと引くのをくりかえしています。
それゆえ傷ついちゃったりもしましたが、次に行くには仕方がなかったなとよく思います。
そんななかで残っているのが、いまのところ相談の仕事です。
天命なのかねえ。わかりません。